おやじが言ったらなんでもかんでもおやじギャグになるのか?そうなってくると、そもそもいくつからおやじなんだ?ということから考えなくてはならなくなりそうだ。また、おやじギャグというとなんとなく「おもしろくない」とか「くだらない」というイメージで使われることが多いように思う。じゃぁ「おもしろい」ギャグはおやじギャグではないのか?と言われるとそれもちょっと違うような気がする。
混乱してきた。整理しよう。
そもそもおやじギャグとは、いかにも中年のおっさんがよく言いそうな(実際よく言っている)事で、笑いを取ろうとする時に使う言い回し(フレーズ)をいうものだと勝手に解釈している。そしてそれらは、得てして駄ジャレになる可能性が高い。シャレとまではいかなくても、言葉遊び的な要素を持ったものが圧倒的な割合を占めているのは確かである。
細かい話になるが、今となっては、駄ジャレと普通のシャレ言葉との違いも定かではない。駄ジャレ=安もんのシャレといったところだろうか?まぁそんな駄ジャレがおやじギャグの大半を占めているという話である。
だが私はおやじギャグ=「おもしろくない、寒い、くだらない」とは決め付けないで欲しいのである。もちろん私自身すでにおやじだと言われる事になんの異存もないし、むしろありがたいくらいに思っているが、そうだから言うのではない。要は同じ「おやじギャグ」でも言う人間の醸し出す雰囲気やその時々の周りの空気、それを聞く側の気質によって大きく違ってくるという事をわかっていただきたい。もっと言うと、言う側はその辺の事情をちゃんと把握していないといけないし、聞く側も場合によっては適切な合の手(突っ込み)を入れるなどを心がける事も必要になってくるのである。それが有る(わかっている)のと無い(わかってない)のとで、生きるギャグ(いわゆるウケるギャグ)と死んでしまうギャグ(一般的に言われるおやじギャグ)に分かれていくのだと思う。もちろん昨今はわざと空気を読まず、はずす事によって新たな笑いを生み出そうとするやり方もある事もわかっているが、それにしても結局はそのはずす事がちゃんと受け入れられる場が出来ていないとエライ目にあうのである。
やや細かくなったが、わかっていただいたであろうか。だからそこで使うフレーズは取り立てて重要ではないのである。おもしろくなる要素があれば笑えるし、なければ白い目で見られるだけの話だ。「金曜日のおかずはフライデー」とか「このワイン、わいんのや」とかでも嵌ればおもろいのである(めったに嵌らないのは周知の通りだが)。中学の修学旅行で担任の先生が白糸の滝の大衆の前で、ハンドマイクを片手に「アイムソーリー、ヒゲソーリー」とやってしまい瀕死の重傷を負ったが、これなんかは何も考えずに、自分がそのフレーズを言いたいというだけの欲望に負けてしまい、ついやってしまい最悪の結果を生んでしまった典型的なおやじギャグの例である。簡単にいうと何かおもしろい(と自分では思う)フレーズが浮かんでも、それを今言ってもいいタイミングかどうかをよーく考えてからしゃべれという事である。
私も偉そうに言っているが、このがまんがなかなか出来なくてエライ目によく逢う。「いいです、いいです、いやもうほんまにいいです、イーデスハンソン・・・」このフレーズは口癖になっているといっていいくらいよく言う。同世代の方ならさほど問題ないが、年下(30代前半とか)の人に言うとポカーンとされ、「なんですか?それ?」となってしまう。うかっと20代の女の子なんかに言ってしまうとポカーンも何もなく素通りされてしまうのである。冷や汗もんだ。だから皆さんもそこの見極めだけは注意していただきたいものである。
出来る事ならば使いふるされた古典的な言い回し(「壁に耳あり、クロードチアリ」など)よりオリジナルの方が良いのだろうが、そのレベル如何によっては古典的な方がウケる場合があるのでこれまた注意が必要だ。
やはりシャレというくらいだから時流にのった旬のネタがなんといってもいいのである・・・例えばねぇ・・・